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科学者が語る、サイエンスの現在

第1回 北澤 宏一 教授


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北澤宏一氏の顔写真昔、リビングストンがアフリカ大陸を探検した。研究というのは、それとまったく同じです。


1.相対性理論と、ソフトボール

相対性理論をかじりながら、ソフトボールばっかりやってたんです。

  まず初めにですね、いわゆる知的なことに興味をもった頃のことを聞かせてください。

北澤 : 高校の時はですね、はいるとすごい連中がいるんですよ中に。相対性理論研究とか、そういうことを言い出すのがいるわけです。当時みんな背伸びしたがってたんですよ、高校で。僕なんか全然わかりませんから、どうしたかって言うと、なんとか研究会なんていうのをつくって。研究会と称して、実際には6、7人で集まると、ソフトボールかなんかやってた。そういうことが多かったんですけれど。そういう中で数学研究会、英語研究会というのに所属していた。 英語研究会っていうのは自分たちでつくったわけです。数学研究会ってやつはともだちがつくったんですけど、とにかく誰が読んでもまったくわけのわからない本を読もうと。集合論とか整数論とかそういった類のやつを読んで、結局、チンプンカンプンで何もわからないから、ほとんどソフトボールばっかりやってたわけですけど。英語研究会っていうのはですね、いわゆる英語を勉強しようとか、そういうことではなくて、その頃、トマス・ハクスレーという人が書いた随筆集みたいのがあったんですけど、それを本屋でたまたま見つけてですね、これは充分に難しいぞと、じゃあこれでいこうという感じで、そのハクスレーを読む会だったわけですね。それも、読んでもさっぱりよくわからない。だからみんなで集まると、数学研究会と英語研究会はソフトボールをやって終りになっちゃう。

  ということは高校時代はソフトボールばっかりやっていたわけですか?

北澤 : 実際はソフトボールやっていたんですけれど、思考するところは、常に、なんかこう難しいことを学びたいっていうか、そんな気持ちがあったことは確かです。だからその相対性理論をかじってみたり、それから整数論をかじってみたり、あるいはハクスレーをかじってみたり。やっぱりこれは難しいやと、大変なこっちゃと思いながら、ソフトボールやっていたんです。ただし、みんなでよく議論しましたね。中には相対性理論ってこういうことを言っているんじゃないかとか説明してくれる人もいたり。やっぱり知的なことに憧れていた。そういうグループだったと思うんです。

  それは一種のサークルみたいなものなんですか?

北澤 : 感じとしてはサークルですね。要するに議論するのが好きな連中が集まって、実際には数学や英語をやったわけではないんですけど、ワイワイガヤガヤと。割と難しい話に興味をもって、やっていました。


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2.日本を立派な国にするには理科が必要だったんです

理科を学び、工業を興し、日本を立派な国にするんだって。それ以外の道があるなんて全然思ってなかった。

  科学の道に進もうと考えたのはその頃ですか?

北澤 : まず、当時は理工系ブームだったんです。僕が高校を卒業する頃はね。それともうひとつは日本がまだ復興途上にあったわけです。僕なんか非常に単純に、工業が日本をこれからは支えていくんだって、思っていましたから。日本という国を復興させて、わたしたちの生活をもっと豊かにするのは、とにかく工業を発展させるしかないんだって、非常に単純に思い込んでた。ですから、自分も理科が好きでしたから、もうそれ以外、なんにも考えてなかったですね。自分はいずれ、大学に入ったら、理科を学び、工業を興し、そして日本を立派な国にする。それ以外の道があるなんて全然思ってなかった。貧しい時代でしたから。わたしは、小学校時代はひもじい中に過ごしましたし、中学、高校も決してまだ豊かになってはいない社会でしたから。日本をなんとか三等国から二等国にしなくてはならない、そういう時代だったんです。三等国でしたからね。そのためには日本の工業をなんとか興していかなくてはならない。その頃、理工系ブームがちょうど始まっていた。昭和35、36年頃。

  科学に憧れたという意識よりは、日本経済の発展に貢献したい。そういう思いが強かったのでしょうか。

北澤 : 日本経済なんて言う、余裕はなかったです。日本が生きていくには?っていう、まずそういう発想なんです。日本には資源もないし、エネルギーもない。だから日本は工業製品を外国に売ってそれで資源を買って、エネルギーを買うしか日本の生きる道はないんだって言われていた。だから日本人はそれを工業でやるしかない。農業もどうしようもない。だから工業を興すしか日本の生きていく道はないんだって思っていました。

  その頃憧れた科学者はいますか。

北澤 : 僕は自分の叔父が科学者だったんです。化学の科学者ですけれど。しかも東大の理学部にいたんです。それでとにかくわたしに大学に来たら化学をやれって言う。自分は少年の頃ラジオが好きだったんで、大学でエレクトロニクスをやりたかったんです。でも化学へ来い、化学へ来いって誘われましてね。それで結局化学に来てしまった。いまだにエレクトロニクスは好きですけれど。

  では自然な形で現在の道に進んだといえるわけですね。

北澤 : そうですね、僕は結局化学をやりましたけれど、エレクトロニクスみたいなことにすごく興味をもっていましたから。固体物理学に興味があって。いま自分はどこの分野にいるのかと言うと、化学の分野でもあり、物理の分野でもあり、エレクトロニクスでもある。そういう分野に身を置いているわけです。昔からの経緯が、そうさせているのかも知れない。

  超伝導というキーワードで何冊か本を読んでみたのですが、さっぱりわかりませんでした(笑い)。インターネットには、東京大学の工学部の学生たちのように超伝導を理解できる人もアクセスするでしょうけれど・・・。

北澤 : いやあ、それは理解していないでしょう。超伝導は理科系の学生も理解していませんから。超伝導は抵抗が0なんだ、っていう位わかれば、まあ充分っていうかですね。

  確か、温度を下げて・・・。

北澤 : ええ、ええ、抵抗が0になることが見つかった位のですね。理科系の人も多くの人はそれぐらいしか知りません。


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3.高温超伝導はまるでお化けでしたね

高温超伝導は、まるでお化けのように出現した。僕たちはそのお化けを最初に見たんです。

  難しいとは思うのですが北澤先生のいまの研究を、できるだけかみ砕いて説明してください。

北澤 : 自分でどういう研究をやっているかと言うと、やっぱり面白いからやっている。面白いことがたまたま役に立てば、それは非常にうれしい。大体多くの面白いものが、もし本当に面白くなったら何かの役には立つだろうと僕は思っています。高温超伝導は、非常に大きな出来事でしたから。世界全体で10000人以上の人が研究を始めることになった。わたしたちがその中でも、一番最初のグループです。わたしたちがどういう役割を果たしたかと言うと、高温超伝導はあたかもお化けのように出現したわけです。急にとにかくわけのわからない、あんまりみんなに馴染みのない物質がすごい高い臨界温度を示した。当時、お化けだったんです。僕たちはそのお化けを、最初に見たんです。そしてみんなが「お化けがいたぞ!どんなお化け?」って聞くわけです。そうすると僕らはお化けはこういう丸い形で頭には毛が3本生えていたよって、どうも足は3本あるらしいとかですね。そういうことをわたしたちだけが知っているわけです。2年ぐらいの間は、恐らく圧倒的にわたしたちは進んでいたんです。お化けをどれくらい知っているかという意味では。

やがて誰もがお化けを見たくなってくる、みんながすごい好奇心を抱いてくる、世界中の人が好奇心を抱いている、そこで「お化けはこうでした」って話をするとみんなが興味をもって聞いてくれる。お化けの正体をどれだけ知ることができるかってことを、いちはやく知って、みんなに伝えてあげることがあたかも自分のノルマであるかの如く、そんな風に感じていました。そして、だんだん、お化けの輪郭がわかってきた。だけど、いま現在に至るまでお化けの本当の正体は何かってことがまだよくわからない。毛が3本だとか、足が何本だとか、そういうことはわかってるんですけれどね。なぜ、お化けが、あんなに高く飛べるのか、その原因は何なのか、いまのところ、まだ完全にはわかっていない。そういう状況なんです。

いまではお化けの研究も非常に高度なレベルになってきたわけですね。お化けがいろんなことに便利に使えるかも知れない。そのための問題点は何か。お化けは高い温度で超伝導になれると言っても、いろいろな弱点をもっている。実用化するには、弱点を克服しなくてはいけない。実は左手が非常に弱いとか、そういう類の弱点をもっているのです。弱点は具体的にはどういうことか。臨界温度が高いだけに、温度が高いところに使うとお化けの体がズタズタに、粉々に分解していくような、それを弱い接着剤で固めていくような、そんな面があるんです。つまり大きな電流を流した時に、それが一体としてちゃんと機能しない、どっかが必ず反乱を起こすんです。反乱があった場所で有限の抵抗がでてしまう。そのために抵抗0という超伝導の本来の性質が発揮できないという弱みがある。反乱がおきてしまう理由はなんなんだろう、そういうことを知りたくなる。超伝導が高い臨界温度で現われるという、超伝導のメカニズムそのものとはまた違った学問となるわけです。そういう観点からお化けを研究していくことが面白い。これは実用化にとっても非常に重要な問題なんです。


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4.お化けの弱みをどうしても知りたかった

お化けの弱みをはっきり解明すること。これは誰かがやらなくてはならない。

  超伝導が実用化できるとなると、どんなことが可能になるのでしょう。

北澤 : うまく、抵抗が0になってくれれば、それで大電流が流せれば、いろいろなことに応用できます。抵抗が0ということに加えて、超伝導には3つの大事な特性があります。抵抗0、それから磁場を追い出す。これをマイスナー効果と呼んでいます。もうひとつはジョセフソン効果。これはトランジスターなんかと同じ作用を示せる電子デバイスに使える作用で、増幅現象とかが可能になります。ジョセフソン素子の一番の特色はスイッチング速度が速い。それと、低温で使えるから雑音が少ない。あるいは感度がいい。あらゆる電子素子の中で、一番感度がよく、速く、消費電力が少ない。現在の半導体トランジスタでできているエレクトロニクスの、その次の時代をつくってゆくものであると考えています。

ただ、難しい問題があって、お化けには弱みがいろいろなところにあるわけです。大電流が流せない、原理的にはジョセフソン効果があることはわかっているけれど、その素子をつくることが技術的に難しい。お化けにはいろいろな弱みがあるんです。その弱みにもました魅力があるから、みんな一生懸命やっているわけですけれど。弱みの部分ていうのは工学的なわけです。つまり、実用化していくには弱みをうまくカバーできるようなテクノロジーを発展させなくてはいけない。まず、弱みを知らなくてはいけない。弱みをはっきり解明していくことが、超伝導工学ともいうべき分野の学問なんです。超伝導エンジニアリング。それを解決するのが超伝導テクノロジーということになります。僕たちとしてはエンジニアリングをやっていこうと。これは誰かがやらなくてはならない。特に大学が基礎をきちんとやらなければいけない。超伝導のメカニズムを研究している人はたくさん出始めていたので、僕たちは超伝導エンジニアリングをやろうという立場をとりました。わたしはふたつのグループをもっていまして、ひとつはメカニズムの方、もうひとつはエンジニアリングをちゃんとやろうと。

  超伝導エンジニアリングという考えが社会の中で何かを具体化する時には役立つわけですね。

北澤 : 具体化していく時にはテクノロジーと結びついて重要になってきますね。


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5.超伝導で省エネを実現したい

超伝導を使って省エネを実現する、それがわたしたちの夢なんです。

  超伝導エンジニアリングはいま、リニアモーターカーの研究にも深く関わっていますよね。

北澤 : 一番大きな夢で言えば、当面、リニアモーターカーでしょうね。1998年には走り始めますから。来年には恐らく一部で試走を始めるでしょうけれど。紀元2000年には、実際に日本列島につくるか、つくらないかということを決める時期が来るでしょう。わたしとしては21世紀の夢としてリニアモーターカーはぜひつくって欲しいと思うのですが。リニアには超伝導磁石がのっていますが、これは現在では従来型の低温の超伝導の磁石なんです。これはいずれ高温超伝導体磁石に置き換えられることになると思います。それに向けての開発が非常に重要な問題なわけです。超伝導磁石の特性を決めるのはやはり、超伝導というお化けの弱みをどうやってテクノロジーで克服していけるか、どうやって大電流を流せるようにするのかが一番の大きな問題です。最初のうちは、ほとんど絶望的でした。工学的に考えると。でもサイエンスとしては非常に面白かった。だけどエンジニアリングから考えると、まったく絶望的だった。とてもじゃないけれど、実用化するための大電流は流せないと。ところが、年とともに、10倍、また10倍という感じであがって来たんですよ。これはもう予想以上で。2、3年前にはですね、これはもしかしたら使えそうだぞという気になってきたんです。 この段階になると企業も非常に力をいれてくる、いまでは、日本とアメリカが互いに切磋琢磨しながら1キロメートルを越すような一本のずっと連続した高温超伝導線材ができるようになった。ここまできましたから、これからは連続的に行っていけばリニアモーターカーにも使えるようになるだろうと思います。

高温超伝導の一番の特技は抵抗0で電流を流せるということです。完全に0ではないのですが。いままでに比べると、圧倒的に電気のロスが少ない。これをうまく利用して、たとえば送電線に使ったり、電力貯蔵、もう少し身近なところで言えば、モーター。あるいは発電機。これらを超伝導化していくことによって、省エネルギーを進めていくことができる。電気というのは非常に便利なエネルギーです。たとえば、ガスだけで暮らせと言われたら、とても困ってしまう。で、電気のエネルギーをどれだけ効率よく使うということが、省エネにとっては非常に重要ですから超伝導を使って、省エネを実現していくことが技術としてのわれわれの夢なんです。

  北澤先生の超伝導研究は、エネルギー問題の解決にも繋がっていくかも知れませんね。

北澤 : エネルギーって言うのは、人間が生きてる限り必要悪として、使わざるをえないわけですね。まあ、早く言えば、人間はエネルギーを使うということで、地球を汚している。地球の資源を使い果たす方向に進んでいる。どれだけ使うのか?ある程度のエネルギーを使うのは避けられない。ある量を使うとしたら、なるべく快適に過ごしたい。そうすると、なるべく省エネ化をはかって、少しでも使う総量を抑えようと。超伝導はそういうことに役立つと言えるわけです。


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6.人類が英知をもたない場合

人類が英知をもたなかったら、科学技術があろうとなかろうと、人類は滅びるでしょうね。

  90年代はさまざまな意味で非常に変化の多い時代です。環境破壊や各地での紛争、人口爆発などたくさんの問題を抱えています。生物が飛躍的進化をするときはいつでも危機であるという説もありますが、ヒトという生物は現在の危機的状況をバネにして、次の次元に入っていけるのでしょうか。北澤先生の研究テーマである「超伝導」がこれからの21世紀の世界に与える影響、そして人間に何をもたらすのか。かなり抽象的な質問なのですが、聞かせてください。

北澤 : それはまず最初にですね。人類の英知と、科学技術というものがどうドッキングするか。下手をすれば科学技術はむしろ人類を滅ぼす。たとえば原爆とかですね。あるいはチェルノブイリの事故、あるいは酸性雨とかですね。あるいはサリンガスでもいいんですが。科学技術というのは使う人が邪な心をもって使ったら、それは非常に恐ろしいものである。逆に使う人がうまく役立てようとしたら、こんなに便利なものはない。その昔、ペストなんかがヨーロッパで流行って、人工が4分の1くらいに減ってしまった。もうペストのことが怖くて生きていても楽しくない、そういう時代があった。中世の暗い時代をつくっていたのがペストだったとすると、科学技術がそれを解決してくれた。じゃあ、それでペストで死なななきゃ人類はいいのかと言うと、今度は、人類は増えすぎてしまい、飢餓で自然淘汰される。そんなことが実際にアフリカなんかでは起こっているわけです。ですから、現在の地球人口58億がこのまま増え続けていった時に、科学技術がそれを救ってくれるなどと思ってはならない。まず、大事なことは、人類が英知をもたなかったら、科学技術があろうとなかろうと人類は滅びる。ただし、英知をもったときに、人類が生き延びてなおかつうまく生きていく道を探ろうとしたときに、科学技術はものすごく頼りになる。たとえばいま、人口は58億です。これからしばらくは人類はみんなで助けあって、その次を考えようというレベルまで到達しない場合、その間に地球人口は70億まで増えちゃうかも知れない。そのときに、その人口をどうやって養うのか、そういった場合、科学技術なしにはそれはありえないわけです。


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7.超伝導世界ネットワーク

超伝導世界ネットワーク。これはもう理想的です。だけど、人間が愚かなために、そういうものをつくると、必ずそれを壊す人がいる。

北澤 : 地球上ではエネルギーをつくりだすのに便利な場所と、実際にエネルギーを使う場所はちがってしまう。シベリアで天然ガスがでる、あるいは油田が開発できるとして、シベリアでそれを使うかっていうと使わない。その時に、ではどうやって運ぶのか、モノで運ぶのか、あるいはそこで電気をつくって電気で運ぶのか。現在はモノで運ばざるをえないわけです。水力で考えた場合でも、ノルウェーではたくさん雨が降っている。たくさん水力発電ができるかも知れないけれど、デンマークやオランダではそんなことはできない。では、ノルウェーで余ってしまった水力発電による電気をどうするか。国際間に、長い電力の供給と需要とを補うようなネットワークができていれば、電力というのはどこでつくっても、どこで使ってもいいということになる。その時に電力ロスが多い配線網では損してしまう。超伝導世界ネットワークのようなものが、できたとしたら、これはもう理想的です。ただし、これは、現在では、人間が愚かなために、そういうものをつくると、必ずそれを壊す人がいる。それを危機に落としいれる人がいるわけで。人類がその英知を結集できるようになるのか、ならないのかということによって、超伝導という技術が、世界を救う技術になるのか、ならないのかが決まる。それを決めるのはやっぱり人間なんです。

人口、環境といったところから、人類は危機を迎えると思いますが、人口、環境、エネルギーというのはキーワードですね。その表面を彩っているのが情報。情報化革命と呼ばれるものだと思うんです。実際に、かなりこれから大きな変化が起こっていくと、わたしも予想しています。そのときに人類が落ち着く場所が、いまよりバラ色の世界であるのか、それとも苦しみうごめく人類の姿であるのかは、やっぱり人類の選択によってですね、全体としての政治的な意味で人類がいい方向を探ったときには、技術はそれをバラ色にするでしょう。科学技術は有力な武器になる。その中で、超伝導というのは省エネを果たし、世界のエネルギーを全体のネットワークのような、システムをつくっていく。そういうものだと思います。ただ、非常に難しい。パイプラインにしたって、つくれば壊す人がいるわけですから。ですから、パイプラインをつくるよりは、長い距離を海上輸送するということになってしまう。

いままでは、米ソ2大勢力が拮抗するという形で、ある程度世界は秩序が保たれていたわけです。その2国が合意さえすれば、世界はなんとかコントロールできた。それがなくなっちゃったら、しかもアメリカの力というのは絶対的じゃなくなってきた。非常に世界が、相対化しているわけです。それで、世界というのは、残念ながら絶対的な支配権が、1国1国に与えられているわけです。世界全体には、与えられていないものですから、早く言えば、世界全体は無政府状態なわけです。群雄割拠。ちょうど戦国時代の日本みたいに。ところが群雄割拠の頃の日本は、お互いに郡雄同士が日本全体の環境を変えてしまうとか、それほどの大きさ、規模はなかった。いまや地球全体の問題が、各国の活動によって変わってしまう、そういう危機を迎えている。だから地球政府ができるか、できないか。技術で地球を救えるかといえば、それはNOです。ただし救おうとした人がでたときに、そのときの武器にはなれる。しかも武器としては有力だと。超伝導も確かに有力な武器になる。


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8.科学技術で生きる国

依然として日本は、科学技術で生きていくしかないんです。

  科学技術基本法が成立されました。いま、なぜ、科学の周辺がにぎやかなのでしょう。

北澤 : それはいくつかの側面があると思います。まず最初に、日本はいままで、先進国の多くが使っている科学技術予算の半分ぐらいしか使ってなかった。GNP比でいうと、日本は科学技術の研究費として、他の先進国の2分の1ほどの予算しか使わずに、外からみると、うまく立ち回ってきたわけです。日本の科学技術レベル全体としては決して低くはない。ですが、それに対する各国からの反応は、日本は科学技術の革新部分、あるいは新しい文化を創世する部分には寄与しない。新しい産業を立ち上げることには寄与しない。そして果実がもぎとられる頃になるとやって来て、量産技術だけをうまくやって、その果実を日本がもっていってしまうじゃないか、それはフェアじゃない、という非難が各国から浴びせられたわけです。わたしは、その非難は必ずしもあたってはいないと思う。なぜかと言うと、アメリカの発展期には、ヨーロッパがアメリカに対して非難を浴びせ、日本の発展期には、アメリカがそういう非難を浴びせる。韓国が今度、発展してくると日本が韓国に非難を浴びせる。まあ一種の国の発展段階においては、必ずそういうことが起こるわけで、日本は決して不当なことをしているとは思いませんけれど。ヨーロッパやアメリカなど、すでに成長し終わった国から見ると、そう見えたと。

成功した人は、次に何を望むかというと、文化活動なんですね。これがいいか、どうかは抜きにして、成功した人は、必ず文化を指向する。文化を指向しないと、みんなの尊敬を得られないわけです。文化を指向する人が何をやるか。そのひとつは科学における新しい創造、あるいは文学とかですね。昔の金持ち、たとえばルネッサンスの頃のメディチ家とかですね、一流国の仲間入りした日本もそうです。日本としてはメディチ家の状態に達したと。ですから科学技術において日本が世界に貢献するためには、いままでの予算では不足なんです。なぜ不足かって言うと、誰かがどこかですでにやったことを追っかけるのはそれほどお金はかからない。自分たちでその何かを、最初をつくろうとすると、これはすごく無駄が多い。お金もかかるんです。だから、相当のお金がないとやっていけない。科学技術基本法っていうのはですね、いままでは、日本はそれだけの科学技術予算がありません。したがって科学技術者は、国民、政府から科学技術は貢献していないじゃないかと問われた場合に、わたしたちにはそれだけの予算が与えられていません、と弁解できたわけです。科学基本法というのは科学者に対して、「おまえたちが望む環境を与えてやろう、これからはお金がないから研究ができないなどということは言うなよ」と。科学技術者に突きつけているんです。

依然として、日本は科学技術立国で生きていく以外には、やっぱり、ないわけです。銀行業で生きているわけではないし、やっぱり科学技術で生きていくしかない。その科学技術に、もしかしたら陰りが見えてきてはいないか、ということを心配しているんです。やはり景気を刺激して、いつも日本が世界の経済のリーダーとして役割を果たしていくためには、もういつもイノベーションが続いていないとダメなんです。そのイノベーション部分に陰りがでてしまうと、日本の経済全体が沈滞してしまう。そのときに、日本政府はこれまではどういうことをして景気を刺激したかと言うとですね、だいたいは公共土木工事だったんです。景気が悪くなると、土木工事。これがパターンだったわけです。土木工事は景気刺激策として有効かと言うと、かなりのお金が土地代に消えてしまう。これはどういうことかと言うと、お金が社会をグルグル巡らずに銀行に消えちゃう。政府がせっかく銀行からだしてきたお金が、また銀行に戻ってしまう。景気刺激策にならないわけです。お金がグルグル回って、あれを買ったら今度はあれを買うという風に、どんどんお金が回っていくと景気刺激策になる。科学技術の効用はですね、科学者にお金を渡すと、科学者はいつも何か買いたくて困っていますから、すぐにお金を使ってくれる。何を買うかっていうと、だいたいはハイテク製品なんです。測定器とか。ハイテクの塊のようなものを必ず買うわけです。するとそのハイテクメーカーは、部品を買うという形でどんどんお金が回っていく。つまり政府が科学技術費に予算をだした場合、それは景気刺激策としての側面もあるんです。これまでの土木工事よりも、もっと効率のよい景気刺激策という面もあるんです。ただ、われわれにとっては厳しい要求であって、科学技術者は正念場を迎えるってことでしょうね。

わたしは、日本の科学技術は中心になっていくと思います。これまではわたしたちがいくらよい研究をやっても世界の中心にはなれなかった。やっぱりお金の面ではヨーロッパやアメリカの方が上だったんです。わたしたちはそのお金に吸い寄せられて国際会議だったらアメリカ、ヨーロッパなんかに行っていた。これからは日本に呼んでくることもできるわけです。日本がお金をだして、みんなを招けば、やっぱり日本が中心になってくる。それをわたしたちがやり始めているんです。日本からでてきた予算で自分たちの好きな人を集めて国際会議を開けるんです。世界の学者をわたしたちが選べるわけです。

  いままでの研究環境は、欧米諸国に比較して遅れていたわけですね。

北澤 : いままではもうアメリカという巨大な科学技術国があって、そこが会議を開くと、そこに応募して、いれさせてくださいという感じで参加していただけなんです。


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9.ノーベル賞?西洋社会のシステムですね

ノーベル賞は西洋社会がつくったシステムですから。これからも日本人の受賞者はそんなに増えないと思います。

  自然科学部門での日本人のノーベル賞受賞者はこれまでに数人しかいませんが、やはり環境が悪かったのでしょうか。

北澤 : ノーベル賞が少ないというのは当然で、つい最近まで日本は世界のトップにいなかった。ノーベル賞は世界のトップの国からたくさんでるもので、これはもう仕方がない。ではこれからの日本がとれるかというと、ノーベル賞というのは一種のサロンの中で、ある人たちがある人たちを見て、じゃあこの次のノーベル賞はおまえにあげようという性格のものなのです。そこに日本人が選ばれるか、どうかっていうのは、日本人が世界の仲間にはいれるか、どうか。世界というかノーベル賞サロンの仲間になれるかということなんです。1991年に受賞式に招かれたときに、物理の分野では世界から60人が招かれて、一週間、スウェーデンでノーベル賞受賞式をはさんで音楽会を聴きにいったり、パーティがあったり、みんなでディスカッションしたりしたんです。その席で次にノーベル賞は彼かねという話がでてくる。でもそういうところに招かれていた日本人はたった1人なんです。それがノーベル賞の実態なんですよ。日本人はいい仕事をしていてもなかなかコミュニティに入れなかった。それがノーベル賞が少ない理由の一つです。西洋社会がつくったシステム、一種のサロンですから、これからも日本人の受賞者はそんなに増えないと思います。ですからノーベル賞の数で、日本人が日本人の科学レベルをはかるなどと言うのは、自分たちがものさしを持ってないことの現われでしょうね。


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10.弱いもの相手の商売に人気がでてきた

弱いものを相手に商売をする職業が、収入が高い職業群となる。豊かな社会のひとつの行き着く姿ですね。

  ところで、最近、理科系の授業に人気がないそうです。

北澤 : 今年の夏休みにですね、科学教育の一環として、埼玉県の森の中でわくわくサイエンスキャンプというのが3日間あったんです。僕もボランティアで、子供たちと一緒に実験なんかをやったんですけれど。理科っていうのはですね、僕は子供が興味をなくすはずがないと思います。やれば面白い。やってないだけなんです。教育というのが、受験に向けての体制を整える、無駄なことはしなくなってる。理科は余計なことに相当するんです。ある程度、無駄な時間を必要とする。でもいまの子供たちには無駄な時間というのがなくなってきている。受験の偏差値を見ると、僕が大学に入った昭和40年頃は理系が文科系より圧倒的に上だった。いまは逆になっています。

社会が全体として子供たちを文科系にいかせたがる。これは日本だけに起こったことではなくて、古くはヨーロッパ、30年前にはアメリカでも起こった。30年前のアメリカでは、成績のいいのはロースクール、メディカルスクールへ進学する、そういう時代に入りました。あるいはウォール街にゆく、それがアメリカの高校生にとってイメージのよい仕事になった。日本もですね、理工系ブームが終ると、もうお母さんたちの間で、子供を将来職に就かせるとしたら医者か弁護士という雰囲気が日本全体に蔓延してきたんです。豊かな社会における、ひとつの行き着く姿ですね。弱いものを相手に商売をする職業が、収入が高い職業群となる。日本ではごく最近まで銀行とか保険会社というのは非常に保護されていましたから、弱い相手に対しての商売に銀行、金融会社もはいっていたわけです。医者、弁護士がお金が儲かる商売の代表格になってきたんです。職業に関して、おかしな格差がついてきた。小学校の先生の給料が、日本の職業の中ではいちばん高いとなると、小学校の先生の人気は急速に高まるでしょう。理科の教育自体が面白いとか、面白くないというのは非常に些末な問題だと思います。理科系をでた人の生涯賃金が、文科系のそれに比べて高いのか、安いのかといった問題でしょう。残念ながら、現在多くの子供たちは銀行や商社にいったほうが給料がいいんじゃないか、あるいは医者や弁護士になったほうが儲かるんじゃないか、という風に思っているんです。それは母親から敏感に、子供へ伝わっている。ですから理科が好きでも文科系にいく。東大で見ますと、文化I類を受ける学生の方が理科系を受ける学生よりも理科ができるんです。つまり理科が好きなはずなんです。


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11.科学技術がさびれたら?なんて言ってられない

日本は科学技術がさびれたら、なんて言ってられない。

  ところで、最近、理科系の授業に人気がないそうです。

北澤 : でも、残念ながら、いままで世界でこの理科離れを解決できた国はないんですね。一種の老人病。まずヨーロッパが第一次世界大戦の頃を境に、理科の沈滞が起こってきた。成績のいちばんいいのは神学とかですね、非常に役に立たないラテンをやるとかですね。そういう状況になった。エンジニアリングなんかは軽くみられてしまう。社会的な意味で、ソーシャルステータスが低い。そんな具合になった。だから、ヨーロッパで科学技術が衰退するのは当然なんです。それまで産業革命以来、ずっと科学技術をひっぱってきたヨーロッパが没落していったのは必然的であって、社会において科学技術をひっぱっている人たちのステータスが低くなれば、それは当然科学技術は滅びる。それがアメリカでは30年ほど前に起こった。日本ではいままさに、それが起こりつつある。ところがヨーロッパもアメリカも科学技術を棄てちゃってもだいじょうぶなんです。でも、日本は科学技術を棄てたらどうやって老大国として、安定した場所に軟着陸できるか、僕はできないと思う。日本は科学技術がさびれたら、老大国なんて言ってられない。また、小国に落っこってしまう。日本全体として考えなくてはいけない時期が来るだろうと思っています。わたしたちは内部努力として、いかに理科が面白いか、子供たちに宣伝し、面白いことをやっていれば、給料少しくらい安くてもいいじゃないかというように子供たちを納得させようとしているんですけど、お母さんたちが納得しない。


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12.いつの時代だって未来は見えにくいもの

いつの時代だって、なんとかやりながら、その次が開けてきたんです。

  いまの高校生、大学生に何かメッセージはありますか。

北澤 : わたしたちが、なぜ生きていくのか。自分はどういう人生をおくりたいのか。多くの若者は、こういう生活の方が楽だからとか、格好いいからとか、口では言いますけれど、本当は青い鳥を追いかけているチルチルとミチルみたいなものだと思うんです。青い鳥がなかなか見つからないために、表面を装う。わたしたちの頃は単純な答えがあって、科学技術を発達させることで日本の未来が開ける、それに飛び込んだし、それに賭けた。そういう風にやってきたわたしたちに、いまの若い人たちはSO WHAT?と聞いてくる。だからどこがよかったの?と聞く。日本はいま、こんなに問題を抱えているじゃないかと。しかも未来を考えてみると決して明るくは見えないじゃないかと。でも、いつの時代だってそんなに未来が明るく見えていたわけじゃない。いつもいつも、非常に大きな問題を抱えていた。そしてそれを常になんとかやりながら、その次が開けてきた。どういう形に落ち着くのかは、その時代の人の努力にかかっている。だから、いま、いろいろ、地球には危機が予想されています。いまの若者たちにとってそれらが非常に大きな不安となってのしかっているのは認めるわけですが、必ず、それはある形で解決される、わたしは、それらの危機で人類が滅びてしまうなんて思っていない。人口問題とかを、新たなところへ着陸させることで、次が開けてゆくと思うのです。

自分が果たす役割のイメージっていうのは、大学に入ってからでないと、はっきりつくりあげることができない状況だと思うのです。ただ、もう少し、将来の地球をこういうものなんだ、そのときの問題点はこういうことなんだと、それをどうやって解決していくのかという、ストーリーを描いて見ることで、自分はこういうことに賭けてみようと、そういう面がでてくると思います。


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13.科学は芸術と同じだと思う

科学技術は、芸術と同じです。自分の好きなことをやって、お金がもらえる。こんないいことはない。

北澤 : どんな職業もそうであってほしいと僕は思っているのですが、科学技術はそれをやっているだけで面白いんです、実は。場合によっては趣味はいらない。趣味がなくたって生きていける。それ自身が趣味になる、そういう面があるんです。誰もがそうなっていく。科学技術は、やっていることが、ノルマではない。ノルマではないことをやりながらお金がもらえること自体が、非常にうれしいことなんです。ある意味で科学技術は、芸術家と同じです。自分の好きなことをやっていて、お金がもらえるなんて、こんないいことはない。しかも芸術家の場合は、そうそう簡単にお金はもらえないんだから。将来に対する使命感と、科学技術それ自身をやっているだけで面白い。

  研究そのものが趣味になると。

北澤 : これまではそうだったし。徐々に他のことに興味を持たざるをえないけれど。たとえば研究といってもいままでは非常に狭い分野だった。自分の手を実際に動かしてですね。だけど年とともに、みんなのことを考えなければならない立場になってきますから。日本の科学技術をどうするのか。いろいろなことを考えなければならない。だから、趣味としても広がらざるをえない。興味の幅、あるいは趣味の幅としても広がってきましたね。好むと好まざるとに関わらず広がってきています。

  座右の銘はありますか。

北澤 : ふたつありまして、ひとつは師恩友益というんですか。最近になってそういうことを感じるようになってきた。師の恩っていうのは、生きていく針路みたいなものを、啓発してくれる人、そういう人を自分の人生の中で持てたか。それを考えてみると、自分のヒストリーを考えてみるとそういう人が何人かいるんですね。やっぱりそれは非常に自分にとって重要だった。もうひとつは、自分たちが何のために生きているのか、その生きている喜びを伝えてあげたい人、それが友だと思うんです。そういう友がいるということが、やはりすごく重要かなと。友がいなかったら、いくら偉いことを言って、自分は人類のために生きているんだなどと言ってみても、語りたい友がいないと寂しいですね。そういう意味で師恩友益という言葉は好きですね。

それとですね、「ちいさな痛みへの思いやり」。これは別にそういう言葉があるわけではなくて、人生を生きていく上で「ちいさな痛みへの思いやり」を僕は少なくともいつも気をつけたいなあと思っています。大勢の人がいる中に、弱い人がいて、非常に弱い立場に置かれて、なおかつ痛みをもっている。こういう状況では、全体としての幸せはないということを意識し、そういう部分にきちんと光をあてるということを、人間いつも考えていなかればいけないんじゃないかと、いう風に思っています。

  最近、感銘を受けた本はありますか。

北澤 : 最近は、国際政治学みたいな本を読んでいますね。いまですね、いちばん興味をもっている読み物は、国際政治物語ですかね。これは、いま、僕にとっては面白い。何がどんな風に変化してきているかということは、自分たちの生きていく、これからを考えながら読んでみるのは面白いですね。

  それはきっと、北澤先生ご自身の研究テーマが、これからの国際政治に深く関わってくるからでしょうね。

北澤 : それはもうすごく関わってくるでしょう。直接的な関係はないはずですけど。最終的には(超伝導と国際政治は)関わってくるものでしょうね。いまはやっぱり、日本の基礎研究として、あるいは産業技術を育てる、なんというか、新しい産業のたちあげ、新規産業のたちあげ、あるいは基礎科学というのはそういう分野に日本がどう貢献するのかを、どういう風にとらえるのかが、国際政治学と関わる部分なんです。超伝導というのがその中でどういう地位を占めているのか。特に日本は通産省が超伝導というものを、日本の科学技術における国際貢献のための格好の旗艦に育てようと。通産省の技術開発プロジェクトの先頭に置いたわけです。ある意味、通産省にとって、超伝導は試金石なんです。超伝導で世界に、日本をアピールしようと。超伝導に関しては、アメリカやヨーロッパからも日本の超伝導はよくやってる、そういう論調に変わってきているんです。今後、日本がメディチ家としての役割を果たす上で、超伝導は少なくともうまく生きている。国際政治学に照らしてみたときに、それがどう見えるのか。面白い観点ですね。


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14.超伝導研究を越える新しい研究

新しい研究が、高温超伝導を凌駕してくれたら非常に面白いと思っています。

  これから5年後は、何をしているでしょう。

北澤 : 「5年後に、いまと同じ超伝導の研究をしているかどうかは、よくわからない。なぜかと言うと、超伝導そのものは、かなりいま実用化が始まってきています。それにかなりメドがついて、今度はもうちょっと、超伝導の研究でも、実際に使うときにどういうことに使うのか。研究の重点がダウンストリームというか、より使うというサイドに移ってゆく。たとえば、超伝導は、航空機の機体のどこかに疲労が進んでいないかという検査に使われる可能性もあり、では実際に超伝導を航空機の機体疲労検査にどうやって利用するのか。そこで別の技術が必要になってくる。5年後には、そういう状況になっているかも知れない。

技術というのは、どんどんシフトしていくもので、わたし自身、高温超伝導が実用化されて、強い磁場が自由に得られるようになったときに、磁場の中で起こる化学反応が、どんなことがおこるのかという研究に興味を持ち始めているんです。実際にやってみるといろいろと面白い。あるいは、高温超伝導体のメカニズムがある程度、わかってみると、いまの超伝導体は、銅の酸化物ですけど、それ以外の物質で超伝導の構造を組んでみようかとか。そういう研究もスタートしているんです。5年後には、そういう研究が、もしかしたら大きくなっているかも知れない。新しい研究が、高温超伝導を凌駕してくれるぐらいになったら非常に面白いと思っています。

  これから達成してみたいこと、また、夢はありますか。

北澤 : これまで、高温超伝導に関わってきましたから。高温超伝導には非常に愛着があるんです。まだ生まれたての赤ん坊で、特に応用という観点から考えたら、ホヤホヤ湯気がでてるような赤ん坊なんですよ。その赤ん坊が、なんとか歩いていけるようになって欲しいと思っています。高温超伝導はどうしたら使えるようになるのだろう。あるいは、どういう用途に使ったらいいのだろう。自分がそれに寄与したいと思っています。わたしも国際的な意味での科学技術行政というようなことを考えなければならない立場になってきているんです。10年位前からに日米科学技術摩擦が言われ始めている。そういったことをどうやって、解消していけばいいのか。超伝導はどういう政策をとればいいのか。文部省などの研究プロジェクトをどうしていけばいいのか。われわれが考えざるをえない。自分としては、国際関係にも非常に興味をもっていますし。なんとか日本の科学技術を、これからの日本が生きていく上でやはりもっと活発なものにしたい。優秀な若者がはいってきて欲しい。それと同時に、日本の科学技術と言うのは、やはり日本が果たすべき世界の中での役割になるようにしないといけない。自分もその役割を果たしたいと思います。


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15.女神はまだベールを脱いでくれない

幸せなことに、超伝導という女神はその神秘をずっと保ち続けているんです。

  これまでの人生で、一番思い出深かったことはなんでしょう。

北澤 : 「なんていっても、高温超伝導が現われたときのことですね。高温超伝導はスイスのベドノルツとミューラーが発見したものですが、彼らの論文ではあまりはっきりとしたことがわかっていなかった。つまり、お化けがいるんじゃないかというぐらいで。それでしかもどんなお化けなのかもあまりよくわからない。われわれはそれを追っかける形で研究を始めて、本当にそれがお化けだということが証明できた。そのお化けがどんなお化けなのかと言うこともよくわかってきた。それまではそんなお化けはいないと誰もが思っていましたから、それを見たときには、足がすくんでしまうほどの興奮をおぼえました。これが本当に高温超伝導であり、いままでの超伝導の臨界温度よりもかなり高いという報告を学生から受けたとき、わたし自身も膝がガクガク震えるような、そんな気がしました。ただ、これはもう、目の前に金鉱脈が発見されたようなものですから。だれもが必死になってね。学生たちがね、どこかにもっと臨界温度の高い高温超伝導体が潜んでいないとも限らない、そしていま、自分はその近くにいるということがヒシヒシと感じられるわけです。誰もが目の色を変えて、非常に一生懸命、寝る時間まで惜しんで研究するというそういう状況になりました。

ちょうどその頃、お正月がやって来るのですが、わたしたちとしては、学生たちが家族の許に帰らないなんてことはあってはならんと思いまして、心配して、当時の教授とわたしとですね、研究室を5日間、閉鎖しますと。だから学生たちは家に帰りなさいと。お触れをだしたんです。で、1月1日の朝にですね教授が心配になって、奥さんと一緒に学校に来てみると、案の定、4人の学生がダンボールを敷いて寝ていた。それでまあ、奥さんと先生でその4人を連れて、新年のご馳走をたべにいこうということで、レストランに連れていったんです。学生たちもそういう状況でした。それほど夢中になっていた。

周りを見渡すと、そこら中に、お化けが潜んでいる可能性が高かったんです。まあ、お化けというよりは、それがいずれ女神に変わっていくんですけれど。お化けを見つけ、それが女神に変わる。女神はですね、なんていうか、分厚いベールをまとっている。正体を見せてくれない。しかし非常に魅力的な、それは高温超伝導のメカニズムという大きな魅力があるわけです。分厚いベールを剥いでくれない。メカニズム研究というのは、少しでもその女神に近づこうとする、神秘的な女性というか、そんな気持ちと同じなんです。ですから、わかりすぎてしまうと、女神への魅力が醒めてしまうというところもある。高温超伝導という女神は、幸せなことに、いまのところ、その神秘をずっと保ち続けている。いまだにメカニズムがよくわからない。最初はお化けとして観測して、それを女神に育てた。それが最初の感激でした。

第二の感激はですね、わたし自身、大学の頃外国で過ごして、わたしの恩師と呼べる人たちのかなり多くは外国にいるわけです。で、その人たちを尊敬しているわけです。その尊敬している人たちが、高温超伝導というお化けのことを知りたがってる。世界各国みんな知りたがっているわけです。当時、日本がいちばん進んでいましたから。日本から誰かを招いて、高温超伝導の話をして欲しいという要望があちこちからあったんです。わたしは、ある時は3週間アメリカで、全部で十数箇所で講演をやったこともあります。たとえば午前中はMITの講堂で、午後はハーバード大学の講堂で講演する。MITの学生がおおぜい僕のことを待ち受けてくれる、あるいはハーバードの学生たちが。異常な状況でしたね。興味津々で話を聞いてくれて、そこで僕がそのお化けとは、こんなお化けなんだよと、こんな面白い、3本毛が生えているんだよと。だけどどうしてそうなのかはよくわからないけど、ここを計ってみると、こういう性質がでてくるんだよと、そういう話をしたわけです。そうすると学生たちは自分たちもそういう研究をしたいと思っているわけですから、一生懸命ノートをもって、なんとか研究をスタートしたいという意欲がありありと見えるわけです。そういう話に感激してくれる。とても面白がってくれる。そして講演が終って、壇上から降りてくるとですね、そこにわたしの恩師だった尊敬している人たちが待ち受けてくれてですね、滅茶苦茶にわたしに握手を求める。そんな状況が続いたんです。

わたしにとっては、もうほとんど涙がでるほどの感激でした。恩師がそうやって、わたしがアメリカに凱旋して帰ってきたというようにとらえてくれたわけです。1987年から88年頃の話です。そんなことが、自分の人生にあるということが信じられなかった。なんというか、非常に表現しにくいのですが、早く言えば、毛利さんが宇宙にいって、日本の子供たちに宇宙から地球を見たら青かったんだよと。そういう言葉と同じなんですよ。高温超伝導をわたしたちが見てきて、こんな風に見えたんですよと。それを聞いていた学生たちが、え?地球は青かったんですか。その地球は青かったという言葉がもつ響きみたいなものがいろいろなイマジネーションを引き起こすわけですが。それを聞いて感激して、握手を求める。その握手を求めてくれる人たちの中に、わたしの年老いた恩師たちが含まれていた。そんな感激を味わえたということは、正直言って幸せだったと思います。なかなかそういうチャンスにはめぐり会えないものですから。


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16.アフリカ探検と、超伝導研究

昔、リビングストンがアフリカ大陸を探検した。研究というのは、それとまったく同じです。

  さきほど、毛利さんのお話しがでましたが、地球を外側から見た人間、また、ある種の研究を突き進めていって未知のエリアに到達する科学者には、いったいどんな景色がみえるのでしょう。宇宙飛行士の一部には、神の問題を挙げる人もいます。「神を見たとか」
超伝導という未知の分野で研究を続ける北澤先生はいかがでしょう。

北澤 : 僕は、研究というのは、宇宙に行くのも同じですけれど、リビングストンがアフリカ大陸に探検にでかけたということと、まったく同じだし。若者たちがですね、外国にいってみたい気持ちとほとんど同じなんですね。だから研究をするというのは、未知の大陸にわけいる、まさにそれをやっているわけで。まったく同じものだと思います。
研究というのは決してサラリーマン的気分ではできない。それはちょうど探検家が、はい、今日は5時になったからおしまいというものでないのと同じ意味です。研究というのは、未知の大陸の探検そのものと言っていいんじゃないでしょうかね。

  フロンティア・スピリットは科学者にとって不可欠だと。

北澤 : 不可欠というか、そういうことなんです。それに耐えられない人が落ちていくことはありえても。やっぱり趣味のレベルにとどめたいと思う人は、とどめる。そうでない人は本当に奥地にはいっていってしまう。

  奥地へ進めば進むほど、景色は面白くなっていきますか。

北澤 : やっぱりビクトリア湖が見つかったわけですからね。それはやはりそのビクトリア湖が、目の前に広がっているのが見えた。それが真実だとわかった時には興奮の絶頂といっていいのではないでしょうか。リビングストンもそうだったと思うのですが。

  本日は、貴重なお話をありがとうございました。

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プロフィール
北澤宏一氏の顔写真

【北澤 宏一】
1943年4月7日生まれ
東京大学大学院工学系研究科超伝導工学・専攻
現在、東京大学工学部・教授
1988年、「高温超伝導体における超伝導性の実証と超伝導物質の同定」の研究により、第2回日本IBM科学賞、受賞。

出身地 : 長野県
職業 : 科学技術教育
家族 : 妻、息子、娘
趣味・関心 : マイクを握ること、あるいはマイクを離さないこと。お見合いのアレンジ。学生と議論をすること。温泉探訪。
好きな音楽 : 日本の伝統的な音楽 ど演歌
好きな言葉 : 夢は大きく、昼飯は生協で。師恩友益。大きな視野、ちいさな痛みへの思いやり。
夢 : 青い地球への復帰の実現


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