食品のトレーサビリティー・システム実用化への期待と課題
トレーサビリティー・システムは、企業にとって在庫管理の効率化や品質管理の向上に欠かせない重要なシステムです。しかし、そこで蓄積された情報は企業の中で利用されるだけで、消費者が食品の原材料から加工、流通・販売までの全ての情報をたどることは非常に困難でした。
Next 5 in 5に描かれたような食品のトレーサビリティー・システムを実現するには、国境を越え、企業の枠を超えて、社会インフラとして情報のトレーサビリティーを確保する必要があります。これを実現する技術として注目されているのが、RFIDやセンサーなどを利用した最先端のトレーサビリティー技術です。
政府の長期的戦略指針「イノベーション25」(2007年6月)でも「食物の安全情報を一目でキャッチ」できる社会を2025年までに実現する目標が掲げられました。消費者が簡単に食品の情報を得られるようにするには、どのような社会インフラを構築していく必要があるのでしょうか? 電気通信大学の沼尾雅之教授に話を聞きました。

電気通信大学 情報工学科
沼尾雅之 教授
——日本ではBSE(牛海綿状脳症)問題で2003年に牛トレーサビリティ法が成立しましたが、その後は食品トレーサビリティー・システムの普及があまり進んでいませんね。
沼尾 これまでも政府を中心に食品の安全性を確保しようと、トレーサビリティー・システム構築のためのさまざまなプロジェクトが実施されました。しかし、その多くは、RFID(ID情報を埋め込んだ電子タグ)ありきの実証実験が多かったように思います。実験のための通信プロトコルやタグを使ってシステムを構築しても、それ以外には利用できず、結局は実験だけで終わってしまったように思います。RFIDを利用するにしても、まずは標準的なもの、特に食品のように世界中から購入しているものは、国際標準を採用することが重要でしょう。
——まだ標準化が進んでいないのですか?
沼尾 国際標準ということでは、EPCグローバル(注1)の規格があります。最近、標準化された「クラス1 Gen2」と呼ばれる規格は、1秒間に約1000個のタグのデータを同時に読み取ることができる優れたもので、IBMも標準化に貢献してきました。こうした規格を使えば、使い捨てではないシステムを構築できます。
(注1)EPCグローバル:商品の流通コードを管理する国際EAN協会と、米国の流通コード管理団体Uniformed Code Council(UCC)が2003年に設立したRFIDの標準化団体。EPCはelectronic product code。
——技術的には食品のトレーサビリティー・システムは実現可能になっているのですか?
沼尾 トレーサビリティー・システムで注目されるRFIDの技術は、モノにIDなどの情報を貼り付けて効率的に管理できるようにする仕組みとしては重要ですが、全体のシステムを考えると、実はその先の道のりが長いのです。まずRFIDから読み取り装置を使ってどのようなデータを読み取るのかを制御するコントローラーが必要になります。そのデータを、LANを通じてサーバーに蓄積するわけですが、このデータを意味づけして検索する機能が「EPCインフォメーション・サービス(EPCIS)」と呼ばれるサービスで、2年前に標準規格案が公表されました。これによって、食品がいつ出荷されたのか?といった情報をWebサービスで検索できるようになります。

インタビューアー:
経済ジャーナリスト 千葉利宏
——ネットで検索できれば、確かに便利ですよね。
沼尾 EPCISでは、企業内での情報検索はできるようになりますが、これをインターネットを経由してアクセスするためには、分散化したEPCISを関連付ける「ONS(オブジェクト・ネーミング・サービス)」という機能が必要になります。これによってRFIDから読み取ったID情報から、RFIDが付けられた食品の生産情報をインターネットで検索して取り出せるようになります。しかし、中間の流通段階の情報は残念ながら把握できません。現在、流通段階の情報も検索できるようにする機能「EPCディスカバリー・サービス(EPCDS)」の規格を策定する作業が進められているところです。
——流通段階の情報が分からないと、先の冷凍ギョーザのような問題に対応できませんね。
沼尾 冷凍ギョーザ問題は犯罪行為ですから、残念ながらトレーサビリティー・システムによって防止するのは困難です。もともとトレーサビリティー・システムは、途中でRFIDの付け替えやデータの改ざんが行われたり、プライバシー情報が取り出されたりといった行為が行われない性善説を前提にして成り立っている仕組みです。もし、そうした問題に対応するのなら、別のセキュリティー対策が必要になります。個人情報保護であれば、収集した情報へのアクセス・コントロールによって保護するべきだと思います。物流分野では、冷凍マグロやワインに温度センサー付きRFIDをつけて流通過程で適切な温度管理が行われていることを証明したり、コンテナの開閉をRFIDで記録することで輸送中の安全を保証したりする仕組みが導入され始めています。
——技術的には随分進んできましたが、実用化に向けた障壁はまだありますか?
沼尾 トレーサビリティー・システムは、RFIDを使っているかどうかは別にして、多くの企業ですでに、生産や在庫管理を効率的に行うために構築されているものですが、そこで蓄積された情報を社会全体で利用するためにはDBの相互接続性やネットワークなどのインフラ整備が不可欠です。それを誰が負担するのかが最大の課題でしょう。消費者もより安全・安心な商品を買うためには、その対価を払うべきではないでしょうか?
——5年後には、日本でもNext 5 in 5に描かれたような社会が実現するでしょうか?
沼尾 5年後であれば、RFIDもいわゆる5円チップ(注2)と言われる低価格のタグがいろいろな商品に貼り付けられ、誰もがEPCISによってネット検索できるようになるでしょう。現在はWebサイトを検索するサービスが中心ですが、すでにRFIDを検索するサイトも誕生しており、いずれは第二のグーグルが登場するかもしれません。
(注2)5円チップ:経済産業省が2004年に着手した国家プロジェクト「響」によって開発された低価格タグのこと。1個100円以上していたタグの値段を一気に5円まで下げるための技術開発が行われた。

電気通信大学 情報工学科
沼尾雅之 教授
——沼尾先生としては、今後、どのような研究を進めていこうと考えていらっしゃいますか?
沼尾 RFIDから機械的に抽出されてくるデータは、膨大な量になります。これらを関連付けて解析することで、いかに有益な情報を取り出すかに関心があります。IBMでは、この技術を「データ・マイニング」と呼んでいますが、もともとは商品を販売した時の金額を集計するために集められ、そのあとは捨てられていたPOSデータを解析したのが始まりでした。それによって消費者の購買パターンなどの分析が可能になり、マーケティング戦略に欠かせない情報になりました。RFIDのデータも他の情報と関連付けることで、さらに大きな価値を生み出す可能性があります。トレーサビリティー・システムはあくまでも道具。何の目的で利用していくかを明確にすることで、社会のインフラとして広がっていくことになるでしょう。
紹介
沼尾 雅之
電気通信大学 情報工学科 教授
(2008年6月現在)
1983年、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。東京基礎研究所にて人工知能応用、エクスパート・システム、制約に基づく3次元形状の自動設計や三面図からの立体生成、インターネット上での安全なカード決済や企業間電子調達プロジェクトなどの暗号応用の研究などに従事。2004年 Academy of Technology における Study on Security and Privacy in Traceability System のリーダーを務める。2006年2月より総務省主催の「食の安心・安全に関する分科会」にも参加し、タグの標準化などを提唱。2008年4月より、電気通信大学電気通信学部 教授に就任。人工知能学会 副会長。情報処理学会 コンピュータセキュリティ研究会運営委員。電子情報通信学会情報通信システムセキュリティ研究会専門委員。博士(情報理工学)。
編集後記
トレーサビリティー・システムというと、RFIDばかりに目が奪われがちですが、重要なのはREIDから得られた情報をどのように活用するかであることが理解できました。あらゆるモノをインターネットで検索できる時代が到来すると社会はどのように変化するのでしょうか?企業もそれを見据えた戦略が必要になるでしょう。(経済ジャーナリスト 千葉利宏)
プロフィール=1958年生まれ、札幌市出身。日本工業新聞(現・フジサンケイビジネスアイ)入社、IT、金融、自動車、建設・住宅・不動産分野を取材。2001年からフリーランスとして活動中。
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サービス / ソリューション
掲載日:2008年6月23日
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