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コンピテンシーの道程

「PROVISION Winter 2006 No.48」 特集 R&Dイノベーション のご紹介

職人の技 シリーズ(13) 〈着付け師〉


戸部  幸枝 さん

[プロフィール]
とべ さちえ
大正13年、新潟で400年続く旧家に生まれる。東京の女学校を卒業後、都内の美容院に就職。戦争、結婚の中断を挟みながら美容・着付けの仕事を続け、昭和31年に藤沢市にトベ美容室を開業。以来現在に至るまで現役の着付け師として数百名の後進を育て、数え切れない花嫁の着付けを手がけてきた。日本唯一の宗師(着付け師の最高位)。平成17年、現代の名工に選定。


着付けには、千年の歴史が宿っています。
それを伝えないと、文化が消えちゃう。


初めての女性職人の登場である。着付け師。正直言って、着付けにワザがあると考えたことはなかった。しかしそんな思いは、戸部さんが実演してくれた着付けを目の前に見て、吹っ飛んだ。

  くたっとした布でしかなかった着物が、戸部さんが引っ張るだけで、まるで意志を持ったように凛とした表情を見せる。マネキン相手の着付けだというのに、すっと背筋の伸びた清楚な香気が、見る間に立ち上がって行った。
「着付けには人柄が出るんですよ」と戸部さんは言う。ならばこの端正な美しさは、戸部さんの人柄なのであろう。
「いえいえ、私なんかまだヘタですから。まだこれからですからね、私は」
  戸部さんの着付けの歴史は、まさに向上心の歴史だ。
「昔からきれいなものが好きで。父の大事にしている菊を切ってお人形を飾ったりして怒られていましたよ」
  新潟の旧家に生まれた戸部さんは、戦争未亡人を見て、手に職を付ける決意をする。
「当時は女が働くというのは不名誉なことでね。でも夫を亡くした人たちが何もできずに呆然としているのを見て、ああはなりたくないと思ったんですよ。女学校の友人が美容師になるというので私も面接に一緒に付いて行って、その場で決めちゃったんです」
  父親は「我が家から髪結いを出すとは」と嘆き、女だてらに勘当となる。
「すぐ戦争。それが終わって1年くらいすると、女の人たちがパーッと華やいでね。美容院は朝の8時に1日の予約が埋まる大盛況。兵隊さんたちが復員してくると、今度は結婚式。多い日は1日に11組の花嫁を作りましたよ」
  戸部さんのメークや着付けは、現代的であか抜けていた。その評判が口コミで広がったわけだが、陰には戸部さんの不断の研究熱心さがあった。
「他の人がいいかげんな着付けをしてるのを見ると、あんなヘタにはやるまいと(笑)。寝ていても新しいアイデアがパッと浮かんでね、夜中の1時でも2時でも飛び起きて、マネキンなんてないから大黒柱に帯を締めて練習ですよ」
  着物の着方には、一定のルールがある。しかし人間の体型は千差万別なので、ルール通りでは見栄えが良くないこともある。基本を少し崩すことで、新鮮な魅力も生まれる。自然な流れとして、戸部さんは創作帯結びなども手がけるようになる。それを見て弟子入り志願する人も増え、後に数百名という門下生を抱えるようになっていく。
「創作をやっていると、平安貴族はどんな着付けをしていたんだろう、大奥はどうだったんだろうなんて知りたいことが増えましてね。50歳を過ぎてから、京都に通って本格的に古典の勉強を始めました。これが深いんですよ。いくら行っても奥があるの」
  同じ花嫁衣装でも、武家と公家ではしきたりが違う。どこまで古典をふまえ、新しいアレンジを施すか。戸部さんは今も、工夫に余念がない。
「最近は和装での結婚式や成人式が減っているから、こっちも意地になってね(笑)、全国各地を飛び歩いて着付け教室を開いたりほとんど家にいないんですよ、私」
  滋賀県で着付け教室をしたその足で岐阜へ行き、新潟へ行き、と、まるで成長企業の経営者のように、80歳を超えた今も動き続けている。
「後から来る人たちに技を伝えないと、なくなっちゃうでしょ、日本の文化が」
  着付けの中には、千年を超える膨大な文化の情報が含まれているのだ。着付けとは、単なる美容の1ジャンルではない、過去からの文化遺産を受け渡す、重要な技術だ。そう言うと、「そんなに大げさなことじゃないわ」と戸部さんは笑った。その顔は、人形遊びをする童女のようだった。