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情報技術の匠

「PROVISION Spring 2007 No.53」 特集 ビジネス変革を実現するBTO のご紹介

第38回 先進テクノロジー啓蒙の匠


米持 幸寿(よねもち ゆきひさ)
日本アイ・ビー・エム株式会社
ソフトウェア事業
テクニカル・セールス&サービス
コンサルティング・テクノロジー・エバンジェリスト

[プロフィール]
1987年、日本IBM入社。カスタマー・サービス部門でメインフレーム系ソフトウェアの障害対応を担当。障害解析ソフトウェアの開発、ワークフロー・システム開発、オブジェクト指向開発、Web開発などを通じてオブジェクト指向開発を経験。2000年より、ソフトウェアのテクノロジー・エバンジェリストとして活動中。


先進技術とのジャム・セッション

  2006年の七夕、東京・青山のスパイラルホール。Jazzドラマーの米持にとっては久々のライブであったが、緊張感はさほどでもない。20年以上の経験と、月2回のメンバーとの練習が、揺るぎない自信を与えてくれる。
  この日、この会場では「DB2® Viper ☆ Star Festival」と題してIBM DB2 9の発表が行われていた。DB2 9は、XML(Extensible Markup Language)テクノロジーを融合した新世代のハイブリッド型データベースであり、「Viper」はその開発コード名だ。
  ゲストのスピーチに続きパーティーが始まると、いよいよ米持たち日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)の社内Jazzバンド「Nobody Knows」の出番だ。約200人の来場者がグラスを傾けつつ談笑する中で、「星に願いを」「The Sidewinder」といった七夕やViper(毒ヘビ)にふさわしいナンバーを演奏して、喝采を浴びたのであった。

  米持は、このイベントにJazzドラマーとしてだけ参加していたわけではない。日本IBMにおけるオープン・テクノロジーのエバンジェリストとして、DB2 9のプロモーション・プランの作成にも携わっていたからだ。彼にすれば、今夜のイベントは「Jazz」と「先端技術」のジャム・セッションでもあったのである。
  「エバンジェリスト」の役割は、最新の技術をいち早く分析し、IBMの先進テクノロジーを広く紹介するとともに、IT業界全体を活性化することである。そしてこの肩書きを、日本IBMで最初に名刺に刷ったのは、たぶん米持だという。
「日本IBMが正式にエバンジェリストを任命したのは2004年5月からですが、わたしはその3年前から名刺に刷って活動していました。
  きっかけは2001年にIBMコーポレーション(以下、米国IBM)のラーレイ研究所で開催されたXMLサミットです。このコンファレンスに参加して、米国IBMの多くのエンジニアと名刺を交換しましたが、その中の何人かがエバンジェリストという肩書きを刷っていました。当時は米国IBMも正式に『エバンジェリスト』を任命していたわけではありませんが、自分の仕事にふさわしいからという理由で肩書きに使っていたのです。帰国後、その話を上司にしたところ、わたしも肩書きとして名刺に入れる許可が出て使うようになりました」

  その後、国内でもエバンジェリストの名前や役割が認知され、米持たちのエバンジェリスト的な活動も評価されるようになったことから、日本IBMも正式に「エバンジェリスト」を任命することになり、米持は企画の段階からこのプロジェクトにかかわることになった。
  プロジェクトでは、誰をエバンジェリストに任命するのかといった選定基準作りから始める必要があった。そこで検索エンジンの検索結果などを利用して、候補者を絞っていくことになった。講演や執筆を通じてエバンジェリスト的な活動に積極的に取り組んでいるエンジニアなら、IT(情報技術)業界やコミュニティーからも評価され、検索エンジンにおけるヒット数も多いはずだからだ。
  また、IBMにおけるエンジニアの職位の一つであるディスティングイッシュト・エンジニア(技術理事)には、職務上、エバンジェリスト的な活動が求められていることから、エバンジェリストとして活動してもらうことになった。
  こうしてソフトウェア・グループでは、2004年5月に9人のエバンジェリストを任命し、正式に活動をスタートさせたのである。その後、大和事業所やサーバー・グループもそれぞれ独自にエバンジェリストを任命し、現在では日本IBM全体で30人を超えるエバンジェリストが活動を行っている。

  米持がコンピューターに興味を持ったのは小学生のころ。映画「2001年宇宙の旅」の影響が大きい。
「子供には難解な映画でしたが、とても美しい映像で、多くの子供たちが宇宙飛行士になる夢を見たはずです。ただ、わたしはちょっと違っていまして、この物語で主要な役割を演じたHAL9000というコンピューターの開発や、続編「2010年」に登場するチャンドラー博士にあこがれてしまったのです。『HAL』は『IBM』を1文字ずつずらしたという話もあり、IBMという会社にもがぜん興味を持ちました。
  中学に進んでからは『IBMに入ってコンピューターのエンジニアになりたい』という思いがいよいよ募り、進学先には、就職実績の一つに日本IBMを挙げていた地元の高専を迷わず選びました。残念ながら当時は情報処理学科がなくて、機械工学科で自動制御を専攻したのですが、それでもマシン語でプログラムを書くことができ、コンピューターの世界に浸ることができました」
  1987年の卒業と同時に日本IBMに入社した米持は、夢に向けて第一歩をスタートさせた。当初の担当は、メインフレームのトラブル対応であった。得意のマシン語を生かし、メインフレームのメモリーの内容をダンプアウトして解析するという仕事に熱中する日々が続いたのである。
  その後、幾つかの部門でプログラムを書く仕事を続けたが、大きな転機となったのは、1998年にオープン系の基盤ソフトウェアWebSphere® をプロジェクトに活用し始めたことである。社内セミナーなどでWebプログラマー向けに講師を務めるようになり、やがて社外での講演や執筆の機会が増えていったことから、社内外でエバンジェリストとして認知されるようになった。この仕事を天職だと感じた米持は、社内公募の制度を使ってソフトウェア事業に異動し、テクニカル・セールスという仕事を続けながら、本格的にエバンジェリストとしての活動を始めたのである。

  米持が小学校のころに興味を持ち、今でも続いていることがもう一つある。楽器の演奏だ。
「小学生のころは和太鼓や和笛に熱中しました。そして中学・高専では吹奏楽部でトロンボーンを吹き、ドラムスにも興味を持ちました。Jazzに目覚めたのは、吹奏楽部の友人に『だまされたと思ってこのCDを聴け』と勧められたCDがきっかけです。『Somethin' Else』のマイルスにまいってしまったのです。それ以来、Jazzの演奏を続け、10年ほど前には社内Jazzバンドにドラムスとして参加し、今では古株的な存在になっています」
  「エバンジェリスト」と「Jazzドラマー」。共通点はなさそうだが、米持は「よく似ている部分がある」と言う。
「講演やプレゼンテーションでは、自分が今話していることではなく、次に話すことを常に意識することが大切です。残り時間や次のチャートの内容のことを考えて、口はその前に考えていたことをただダンプアウトしているだけという状態になります。これができるかどうかはある種のセンスだと思うのですが、ひょっとしたら音楽の素養も関係するかもしれません。特にJazzドラマーはアドリブが多く、次の小節はどうなるのか手の流れを考えておき、後は体が勝手に動かなければなりません。それができることが大変重要なのですが、その点がとてもよく似ていると思います」
  エバンジェリストとして、さまざまな先端技術とジャム・セッションを続ける米持だが、次はどんなスティックさばきを見せるのであろうか。