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コンピテンシーの道程

「PROVISION Spring 2007 No.53」 特集 ビジネス変革を実現するBTO のご紹介

職人の技 シリーズ(18) 〈椅子張職人〉


(株)ミネルバ
宮本 茂紀 さん

[プロフィール]
みやもと  しげき
1937年、静岡県伊東市の漁師家庭に生まれる。中学の担任に「君は椅子職人向きだ」と言われ、担任の実家の椅子工場に就職。数社で修行した後、66年に五反田製作所を創業し独立。日本有数の椅子職人として、JR寝台特急カシオペア室内など数多くの作品を手がける。2006年度現代の名工に選定。武蔵野美術大学の特別講師も務めている。


職人は、結論を急いじゃだめ。
もの作りは、粘り強さです。


  椅子というのは、不思議な家具だ。非常に身近で実用的な存在でありながら、古今の建築家やデザイナーが個性的な作品を発表してきた「最小の建築物」でもある。そして、そうした名匠の意図を形にする職人が、この宮本茂紀さんである。

  三つ子の魂百まで。宮本さんは子どもの頃から現在まで、徹頭徹尾「工夫の人」である。
「実家が漁師でね。子どもの頃は父親の舟が戻るのを、近所の母子と浜で待っていました。その間にイカ釣りの針を磨いたりするんだけど、私は友人に何本も針を海に入れさせて、自分は海に潜って、水の中ではどんな針がよく見えるのかを比べていました。職人になってからも、椅子の丸い背に革をきれいに張るにはどうしたらいいか、靴を作るみたいに木型を起こして革を濡らして伸ばしてシワの出ないように、なんて工夫が得意でね、そんなことばかりやってましたよ」
  椅子作りでは、木の部分は木工職人、座面や背は椅子張職人、と分業で担当することが多い。しかし椅子の修理から修行を始めた宮本さんは、木工も張りも、すべてができる。しかも工夫が得意ときているから、著名なデザイナーや家具メーカーから、アイデア段階の椅子の試作を頼まれる仕事が増えていった。ヨーロッパで「モデラー」と称される試作職人の、宮本さんは日本における元祖でもある。
「高度成長の頃、海外の家具メーカーが次々と日本に進出してきた。その際、座高などを日本人向きに調整する必要があるんだけど、古い職人はそういう仕事を嫌がって、みんな『宮本にやらせろ』って(笑)。
おかげでヨーロッパへ勉強に行くこともできました」
  工夫好き、挑戦好きがチャンスを引き寄せた形だ。やがて宮本さんは、古今東西の技術を身に付けた信頼絶大のモデラーとなっていく。
「今の人は、とにかく結果を欲しがる。企業も社会も、早く結論にたどり着こうとする。しかし私は、毎回悩んで、いくつもアイデアを出しては試行錯誤を繰り返します。相手が本当に求めていることは何かをじっくり考え、その上を形にしたいんです。もちろん私自身が作りたい椅子もあるし、私なりの美意識もあります。けれどモデラーは、何かを決めつけてしまうと発注者の意図を形にできなくなってしまう。常に柔軟に考え、工夫しなくちゃいけない」
  最先端の素材や技法に目配りしながら、一方で明治時代の椅子の修復なども多く手がける宮本さんは、「過去に敬意を表し、未来を積極的に受け入れる」という言葉をよく口にする。
「少し前まで、インテリアの分野では『実用性の中にこそ美がある』という考えが強くて、古典的な様式は否定的に見られていました。私は古いものの素晴らしさも実感していたので、平成元年から13年間、美大の学生を集めてMプロジェクトという勉強会を続けました。バブルの儲けは全部これに使っちゃった(笑)」
  過去に固執せず、時代に迎合せず、できる限りの技術と工夫でものを作る。真にオリジナルでありながら実用性を持った椅子が、そこから生まれる。
「大量生産の椅子を否定する気はまったくない。しかし、そのひな形を作り出す職人には、画一化されることへの抵抗がないといけない。新しいものを作り出す、自分の手で生み出すという作業への自信と尊厳を失っちゃいけません」
  そしてこの職人は、70歳になった今も未来を見ている。
「周囲には『オレは再スタートする、まだやりたいことがある。存命10年計画だ』って言ってます。『お前のことだから存命計画パート2もあるんだろう』って言われますけどね(笑)」
  もの作りを支えるのは、粘り強い鍛錬と創意工夫だと、古希の熱いまなざしは語っていた。