職人の技 シリーズ(19) 〈光学機器組立職人〉
三鷹光器(株)
長谷部 孫一 さん
[プロフィール]
はせべ・まごいち
1946年、東京都大島町(伊豆大島)に生まれる。中学卒業後、従兄弟の紹介で三鷹光器に就職。国立天文台の天体望遠鏡の修理・組み立てを10代から担当。83年に打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア」に搭載された特殊カメラの製作など、これまで80あまりの光学機器を宇宙に送り出し、失敗はゼロ。平成18年「現代の名工」に選定される。
図面なんか、信じない。
モノは、現場が作るのです。
天文ファンなら、その名を聞いただけで胸がときめくという三鷹光器は、天皇陛下も視察に訪れた「スーパー中小企業」だ。天体望遠鏡、最先端医療機器、人工衛星搭載の光学機器と、最高レベルの精度と安定性が求められる製品作りを支えているのが、「スーパー組立工」、長谷部さんである。
「実は私、不器用なんですよ。手もほら、こんなにごついし」
差し出された長谷部さんの指は、「ボウリングの穴に入らなかった(笑)」という大きさ。
「ただ島育ちで貧乏でしたからね、おもちゃでも何でも手作りしていた。工夫して作るというのは、子供の頃に身に染みついたんでしょう」
長谷部さんが幸運だったのは、人に恵まれたことだ。三鷹光器の現会長である中村義一さんは、15歳の長谷部さんを助手として国立天文台に連れて行き、国内最高レベルの望遠鏡のメンテナンスを手伝わせた。天文台で働く大学教授たちは、仕事の後に手弁当で数学の基礎を教えてくれたそうだ。
「時代も良かった。ちょうど宇宙開発が本格化する時期で、そういう先生たちが数年後に衛星用の光学機器を発注してくれるようになったんです」
当時の研究者は、ただ発注するだけでなく、三鷹光器の工場へやってきて工具を手に持ち、その場で注文を付けた。
「そうすると、先生たちが何をしたいのか、この機械の急所は何かがよくわかる。また会長の図面もひどくてね、ところどころ白紙なんですよ。『そこは自分で考えて作れ』って。鍛えられましたよ(笑)」
余談だが、三鷹光器は入社試験で、手作り飛行機キットを学生に組み立てさせる。手を動かし考えることこそモノ作りの原点だという確固たる考えが、この会社には根付いている。
「またウチの会長や社長が設計する機械がユニークでね。狭い衛星の空間に収まるよう、小さくたたまれた機器が、ボタンひとつで手品みたいにきれいに開く。そんな動作テストを宇宙研究所でやると、『三鷹が来たぞ!』ってライバル企業の技術者までが見に集まって来たものです」
長谷部さんにはそれが誇らしくて、さらなる工夫の意欲がどんどんわいてきたそうだ。
「図面通りにやらない。図面なんて信じないんです。たとえばここにはビスを2本打てと書いてある。でも3本打てば揺れを抑えられる。そのためには支持材をどう入れるか、重量を増やさないためにどこを削れるか。全部現場で考えます」
ある日宇宙研へ行くと、「図面通りなのに、ロケット先端のカバーが開閉時に破れる」とスタッフが頭を抱えていた。
「私は新聞紙を試作品の上にかぶせて、ギュギュッとしごきました。すると微妙に飛び出ている部分の新聞紙が破れるでしょ。ここを図面より削り込まないとダメだよって言ったら、みんな驚いていました」
NASAを驚愕させたカメラでは、温度差の激しい宇宙での機材の膨張を吸収できるよう、あえてつなぎ目を多くし、発注もされていないのに万一の際には自爆して他の機器を守る装置まで搭載した。
「会長と社長と3人で知恵を絞りました。日本中の有名メーカーと並べて動作実験をして、最後まで動き続けたのはウチの製品だけだったんですよ」
社長の中村勝重さんは、「大手企業には最先端の技術がある。けれどウチには、どんな機械も持つことのできない技能=考えて作る力がある。長谷部はその代表です」と評する。
「いやあ、誉められたり賞をもらったりするけど、私にとっては今もおもちゃを作っているのと同じ。作ることが楽しくてしかたないんです」
放置自転車なんか、小学生にどんどん分解させればいい、そうすれば機械好きは必ず増えますよ、と長谷部さんは言う。新しいモノを生むのは、いつだって好奇心に駆られて手を動かす現場の人間に違いない。
文=篠塚義成
写真=林 泉
