職人の技 シリーズ(23) 〈プラネタリウム・ディレクター〉
葛飾区郷土と天文の博物館 学芸員
新井 達之 さん
[プロフィール]
あらい・たつゆき
1964年生まれ。千葉大学理学部卒業。小学3年生以来プラネタリウムに通いつめ、中学、高校では天文部に所属、大学時代は公立のプラネタリウムでボランティアながら、早くもプラネタリウムの解説、番組の企画・制作まで行う。卒業後は一般企業に勤めるも、プラネタリウムに "呼ばれ" 現職に就く。デジタル・プラネタリムの機能を駆使し、解説者と観客が一体となりながら、見るものに「今」の天文学への関心を高め、地球的・宇宙的な視点を提供できるような番組作りを目指している。
私たちは「宇宙に住んでいる」。
その思いを今、ようやく伝えられる。
「私たちが今いるところは、どこでしょうか?」新井さんの声がプラネタリウムに優しく伝わる。ドームに映し出されるのは星ではなく、このプラネタリウムの映像。それが葛飾区の町裏から、東京上空の映像に変わり、そして一気に宇宙へ飛翔。ついに映像は宇宙に浮かぶ地球を見つめる。新井さんの声が3段階ほど大きくハリのあるものに変わる。
「そう! 私たちが今いるところは、宇宙なのです!」
勇壮な音楽が響き、私たちは新井さんとともに果てしない宇宙空間の旅に出る。
これは新井さん渾身のプログラム『かつしかから宇宙へ』のオープニングだ。
「私たちの住所は葛飾区であり東京都です。でももっと大きな視野で見ると…私たちは宇宙に住んでいるんですよね。そういう視点で見るとモノの見方が変わってきませんか?」
紛争、環境問題、この地球で生きるということ。現住所をそれぞれの国や地域ではなく、宇宙という視点でとらえると見えてくるものがある、というのが新井さんの一つのメッセージ。確かにプログラムを見ると心が揺り動かされるものがある。
ドームに映し出される大宇宙。その漆黒の空間に心細そうに浮かぶ星。このちっぽけな星は地球ではない。地球から何万光年離れた星をも含む銀河系の姿だ。宇宙にはこの銀河が無数に存在する。それほど圧倒的な宇宙というものの中で、人はなんとちっぽけなことで争うのか。およそ20分のプログラムは、天体の動き、宇宙の姿をただ教育するものでも、ロマンチックなエンターテインメントだけでもなかった。新井さんが描く宇宙、そしてそこからのメッセージは、厳しく、温かい。
「実はこのテーマは、私が当館で仕事を始めた1991年からやりたかったものなのです。昨年になって、ようやく実現することができました」
1991年当時のパンフレットを見ると、そこにはしっかりと『かつしかから宇宙へ』のタイトルが刻まれている。それから16年、なぜここまでの時間がかかったのだろうか。
「技術の問題です。当時の技術では私が伝えたい世界を表現できなかった」
1923年、ドイツで生まれたプラネタリウム。その歴史は技術革新の歴史でもある。光学的な技術はもちろんだがコンピューターの発展とも歩みをともにしている。扱えるデータ容量は劇的に増加し、処理能力、表現能力も、スライド上映の時代とは比較にならない。そして今。ハードウェアとソフトウェアの革新が融合し、星座を学ぶ場所から、科学をベースとした極上のエンターテインメント空間へと飛躍的な進化を遂げた。
「1923年のドイツでは、その当時の技術で『その当時の宇宙観』が上映されていました。それから技術が進化し、宇宙の謎もどんどん解明されていく。今後もいろいろな謎が解明されプラネタリウムで紹介する宇宙も変わっていくかもしれません。ワクワクしますね。プラネタリウムにかかわる人間として、今、この時代に生きていることを、私は幸せに思います」
「そろそろ戻りませんか? 私たちの世界へ」
葛飾からから出発し、宇宙の果ての果てまで駆け巡っていた我々は、新井さんの一言によって地球へと帰還する。風景は朝の東京に変わり、ドームは元の乳白色に戻る。周りの観客を見ると、館内の明かりが元の明るさを取り戻してもしばらくボーっと何もない天井を見上げたままだ。子どもの頃、プラネタリウムで初めて南半球の星たちを見たときを思い出す。そういえばあの頃も現実に戻るのに時間がかかった。
「私もそうです。小学3年生、初めてのプラネタリウムでワクワクしたその感動があったからこの仕事をしているんですね」
新井さんはこの夏、ハワイアンの生演奏とともに天空を楽しむ番組を上映する。天文屋というのは学者でありエンターテイナーである。大人であり子どもである。もしかしたら新井さんは、35年を経た今でも、小学3年生、あのプラネタリウムのワクワクの中にいるのかもしれない。
