
吉崎 敏文
日本IBM 執行役員 クラウド・コン
ピューティング事業
クラウド時代が本格的に幕を開けた。ただ、日本ではコスト削減だけが注目される傾向がある。クラウドの実力は、そこにとどまるものではない。新しい事業などにつきものだったリスクを低減しつつ、拡張性をも提供する。こうしたクラウドの特性を活用した新規ビジネスが次々と誕生している。IBMも社内に多数のクラウドを導入、そのノウハウや知見を磨いてソリューションを強化しつつある。ここでは、クラウドのメリットを実践例とともに紹介する。
リスク低減と拡張性により新しいビジネスを後押しする
クラウド・コンピューティングの概念が浸透しつつある中で、多くの経営者から期待の声が聞かれるようになった。その期待はコスト削減に偏りがちだが、クラウドの効果にはほかにも重要な側面がある。日本IBM 執行役員の吉崎敏文は次のように指摘する。
「コスト削減も大事ですが、忘れてはならないのは、クラウドの特性を生かすことで以前はできなかったことが可能になるということ。クラウドは価値創造のチャンスを提供する、ビジネス変革のドライバーなのです」
クラウドのもたらすビジネスへのインパクトとして、吉崎が注目するのはリスク低減と拡張性という2つの観点である。
「新ビジネスを立ち上げようとすれば、以前ならサーバーやソフトウェアへの投資が必要でした。しかし、クラウドなら月額料金でIT資産を利用できます。ビジネスが軌道に乗らなければ契約を解除するだけ。事業撤退後に不要な資産が残ることはありません。つまり、ビジネス上のリスクを低減することができます。またクラウドを活用すれば、ビジネスの成長に応じて機動的にリソースを調達することができます」
これらの2つの効果が新規事業への扉を開き、企業によるチャレンジを後押しする。豊田通商グループのエコマネージ・ネットワーク社はその好例だろう(図1)。排出事業者 や収集・運搬業者、中間処理業者など多くの関連企業に対して、同社は産業廃棄物処理のプロセスをクラウド基盤上で提供している。
「廃棄物処理にかかわる企業には、マニフェストと呼ばれる伝票の保存と管理が義務づけられています。その電子化率は15%で、プロセスには非効率な部分も多い。このプロセ ス全体を効率化するとともに、コンプライアンスの強化を図るという新ビジネスです。顧客が増えたときには、リソースを追加して事業を拡張するのも容易です」と吉崎は解説 する。
エコマネージ・ネットワークは、このビジネス・モデルの海外展開も視野に入れているという。その場合も、クラウドなら柔軟に対応することが可能だ。
図1: エコマネージ・ネットワーク社「インダストリー・クラウド」
クラウドによる複数企業間で共用可能な環境を提供し新ビジネスを創出
- 産業廃棄物処理のための共通システムをクラウド・サービスで実現
- 産業廃棄物管理票(マニフェスト)の保存・管理
- 処理手続きの効率化、法令順守の徹底

約60のアプリケーションを分析。クラウド・スイートスポットを特定
IBM社内においても、すでに多くのクラウド導入事例がある。研究開発の分野では、約3,000人がクラウドを活用して開発コストを削減した。また、社内IT部門はサーバーを統合してプライベート・クラウド化し、数千台のサーバーを減らしたという。「Blue Insight」と呼ばれるクラウド上のデータ分析ツールもある。
「従来は部門ごとに行われていた分析をクラウドに統合。財務情報や販売情報などを全社横断的に分析することによって新たな知見を生み出そうというものです。どのタイミ ングでどの商品をどの地域で販売すれば最も効果的かといった判断を適切にサポートすることができます」と吉崎は説明する。
IBMはこのような社内事例から得られたノウハウをさらに磨き、ソリューションとして提供していく考えだ。その際、同社は約60のアプリケーションを分析して、「どのような分野がクラウドに適しているか」を検討した。吉崎は「クラウド・スイートスポットとして特定された分野には、たとえば解析やコラボレーション、デスクトップなどがあります」と言う。
分析情報やセキュリティーをクラウド・サービスとして提供
クラウド・スイートスポットを中心に、今後次々とソリューションが登場する予定だが、すでに発表されているものもある。たとえば、自動車業界向けの分析ソリューション(図2)。ドライバーなどからNHTSA(米国運輸省道路交通安全局)に寄せられた約59万件の声を分析し、経営情報として生かすためのクラウド・サービスである。
「公開されている膨大な生情報は、『遅い』とか『音がする』といったもので、それだけでは経営に生かすことができません。高度な分析を行うことで、製品や部品ごとに有益な情報を得ることができます」(吉崎)
また、IBMでは業界横断的に活用できる情報漏えい防止ソリューションも開発中である。「グローバル展開する企業は、現地の多数の企業と重要情報をやり取りしています。『設計データが協力会社から漏えいすることはないか』といった不安は、なかなかぬぐえません。そこで、情報の交換を暗号化などで保護するとともに、トラッキングの機能を備 えたソリューションをクラウドで提供する高いサービスもあります。このソリューションでは、万一情報漏えいがあればデータを追跡できるので、不正行為を抑止する効果があります」と吉崎は語る。
IBMはクラウド関連事業をさらに強化しつつある。その基盤となるのが世界10カ所に設立されたクラウド実証センター、そして9カ所のクラウド・データ・センターである。もちろん、技術的な蓄積も重要なポイントだ。クラウドの中核をなす仮想化技術は、同社の長いメインフレームの歴史の中で培われてきたものである。これらの有形無形のリソース を駆使して、IBMは本格的に始まったクラウド時代をリードしようとしている。
図2: NHTSAに寄せられるユーザーの声や情報を分析し、改善点を早期に検知して競争力を強化
